織田信長が比叡山を焼打ちした翌年の元亀三年(1572年)、
初代・吉田源之丞は戦場と化した江州吉田村から出て、五条高倉に仏具の製造販売の店を開きました。

そして歳月を経ないうちに、寺院の出入方の束ねとして「大仏師」を拝命し禁裏の御用を務める事に、さらに元和年間には仏師の最高の位である「法眼」の位に凝せられる事となります。

わが国の仏教史上で、最大の混乱を招いた比叡山寺院群の焼失は、結果として京都の仏具商人に特需をもたらす事となりました。
その後、覇者となった秀吉が比叡山の再建を許可、それにより各寺院が争うように損失部の修復を始めたからです。

大仏師の称号を持つ初代・吉田源之丞も再建に尽力、以来数少ない比叡山諸寺への出入方商人としての地歩を築く事になりました。

昭和前期の当店外観時代は移り、明治に入ると同店は三条河原町に移転、現在に至ります。
 
その様な経緯を経て、吉田源之丞老舗は四百年以上にわたり仏具商を営み、京都の伝統工芸技術による京仏具・仏像・寺院荘厳を製作・販売しております。

仏具製作  代々、名跡吉田源之丞(よしだげんのじょう)を襲名し、現店主で十五代目。大仏師の称号を受け継いでいます。

この歴史と伝統を誇りに、さらに長年の経験と知識を絶えまなく積み重ねることによって、各宗総本山の御用達に預かり、最高の品質の仏具類をご提供してまいりました。

そして、高品質の新商品をお届けするばかりでなく、確かな技術によって文化財・美術品・ご仏壇・仏具などの修復にも取り組んでいます。

「老舗としての看板はいつまでも生かしていきたい。ただその為には老舗だからしなければならないという責務も果たす必要がある」。

伝統を重んじつつも新しい手法にも積極的に取り組む事で、伝統工芸による技法だけでなく、最新の技術も取り入れた新商品を開発し、お客様のニーズに合う工芸品をお届けしております。

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